Hallelujah




 教会に行こうと言い出したのは遠坂だった。
 日付を考えれば不自然でもなんでもないその提案を不可解なものだと思ったのは、提案したのが遠坂だってことと未だ忘れられぬ面影を遺した神父が脳裏に浮かんだからだった。
 バイトを終え、待ち合わせた遠坂と向かった丘の上の教会には夜遅くということもあってか人気がなかった。少し拍子抜けした俺とは裏腹に遠坂は迷いもなく中へと踏みいる。
 一歩遅れて遠坂のあとに続き、祭壇に立つ人影に気付く。

―――既視感。

 言いようのない衝撃に、くらりと、一瞬だけ視界が揺れた。軽い眩暈を遠坂の足音が吹き飛ばしてくれ一息つく。俺達に気付き振り返るのはあの男ではなく、初老の柔和な表情をした神父だった。……当たり前だ。あの何処までもこちらの深淵を突きつけてくるアイツはもういない。ただ残された疵が疼くだけ。
それだけだ。
「士郎はそこに座って待ってて」遠坂は少しだけ振り返ってそう告げ、神父さんの方に歩み寄り何事か話し始めた。
 言われたとおりに座って待っているとすぐに遠坂がやって来て隣へと座る。神父さんは軽い会釈をこちらに向けてすると無言で奥へと引っ込んでしまった。
「なあ、遠坂」
「―――わたしね」
 問いかけようとしたこちらの言葉を遮るように遠坂が声を上げた。視線は俯いたまま続ける。「毎年、この日だけは必ず此処に来ることが習慣だったの」
 独り言のように言うから俺はただ黙って聞いているコトしかできない。ただ小さく頷く。アイツ―――言峰綺礼は遠坂の兄弟子であり後見人だった。なら、それは驚くべきコトでもなんでもない。
「うん。アイツは嫌な奴だったけど、それでもわたしにとっては一番近い立場にいたから」
 そうだ。なんだかんだ言ってても遠坂はアイツのことを信頼していた。とことん厭な奴だと嫌ってても、それでも信じていたんだ。……なのに。
 聖杯戦争が全て終わってから、俺は遠坂から言峰の最期を聞かされた。淡々と語る彼女の、握りしめた拳が小さく震えてたことを思い出す。それは、遠坂の中でその出来事が未だ整理がついてなかった証拠じゃなかったのか。
「……そうか。それで今日、ここに来たのか」
「そ。せっかくだからお祈りくらいはしようかとも思ったしね」
 言って遠坂は俯いていた顔を上げ、瞳をゆっくりと閉じ、


「……hallelujah」


 小さく呟かれた言葉。その響きがやけに耳に残る。
「それ、どういう意味なんだ?」
「簡単に言えば『神を讃めたたえよ』ってこと。感謝を表す言葉ね」
「遠坂、神様を信じてるのか」驚きにまじまじと顔を見ながら言うと遠坂は「まさか」と肩を竦めた。
「じゃあなんでその言葉を?」
「響きが好きなのよ。理由なんてそれでいいじゃない?」
 と、気楽な口調で言う。
「何に祈るかなんて人の勝手。それこそ小さな問題だわ。大切なのは、祈るという行為そのものとその願いよ」
 なるほど。
 これほど説得力のある言葉は遠坂だから言えるんだろう。
「わたし、全知全能の神様なんて胡散臭い存在を信じてもいないし、そんなものに自分を委ねる気もさらさらないけど。それでもね、士郎」
 祈ることをやめたくはないのよ、と。そう続ける横顔は綺麗だった。同時にどこか寂しげにも見えて―――
 身体を捻り、肩を抱き寄せ深く遠坂に口づける。寸前、当たり前のように目を瞑ってくれるのが嬉しく、同時にこんな場所でということに後ろめたさのようなものを感じもしたがそんなのは背中に回された遠坂の腕の感触に吹き飛んだ。もしかしたらあの神父に対する当て付けの気持ちは一緒だったかもしれない。


 今日という日、ここに来たのは多分遠坂なりのけじめだ。惜別と、哀悼への。


 繰り返す深い口づけの合間に遠坂が掠れた声で囁く。
「ね。士郎は……何に、祈るの?」
「……俺は」
 正直、今までそんなこと深く考えたことがない。ただ漠然とした何か、顔も見えない誰かに対してそうしてきたような気がする。
 けど、さっきの遠坂の言葉で気付いた。
 詰まるところ、祈りっていうのは自分に対する誓いだ。自分の裡にある見えない願いを確かなカタチとして顕すための儀式のようなものだ。
 だったら。そうだったら。
 神様なんて見たこともない当てにもならないものよりも、そんなのよりも確かに信じられる、胸を張って信じることが出来るものがあるとすれば。
 ―――それは多分、俺が今まで経験してきたこと。出逢った人たち。それによって失ったものと手にしたものだけだ。それだけは信じられる。これからも信じていける。
 だから遠坂を抱きしめる腕に力を込めた。言葉に出来ない答えを示すようにして。
 そうだ、これが答え。俺の、衛宮士郎が唯一つ胸を張れる確かなもの。



 遠い背中―――いつか越えていくために。
 言峰綺礼―――これが、いつかの答えだ。



 見つめた遠坂の瞳。蒼く澄んだ双眸も真っ直ぐにこちらを見つめている。その表情がふと、緩んだ。「……うん。あんたは、それでいい」
 そうして今度は遠坂から深く唇を重ねてくる。俺達は融けあった意識の中で同じコトを思っている。
 俺が抱く願い。それは酷く単純で、だからこそ難しい。
 辛いことも苦しいことも、悲しいこともどうにもならないことだってあるだろう。そんなのはいつだって、望まなくたって否が応でもやってくるものだ。
 だけど、それでも。
 俺と遠坂が歩む道。この目に映る親愛なる人たちが歩む道のこれから。



 これから歩んでいく日々全て――――どうか、嬉しからんことを。



 いつまでもよろこびの歌を忘れぬよう。辛いことだけを見て絶望するような、そんなのは嫌だ。俺は泥濘のなかにも芽吹く種を見つけるコトが出来るだろう。出来るはずだ。遠坂と、一緒なら。
 触れ合わせた唇のまま二人同時に呟いた言葉は冷え切ったこの場所に温かな響きを持って落ちた。
 これまでの全ての出逢い、出来事に感謝と誓いを。



「―――アレルヤ」



 全ての日、嬉しからんことを。




 終





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