ギシっと椅子の背が軋む音が酷く心地よく耳に届いた。
目の前には会心の出来といっていい一時間程の努力の結晶がある。
「ふ、ふふふ」
聖杯戦争の報告書の息抜きにと始めたのだが、思ったよりも熱くなってしまった。明日の式での挨拶の言葉の推敲と暗記。
悔しがる生徒会長の顔を思い浮かべるうちについつい筆が進んでしまったのだ。
「見てなさい柳洞一成」
職員室で、生徒会長である一成を差し置いてわたしが明日の式の挨拶を任された時の彼の表情はすごかった。敵意剥き出し100パーセントって感じで。
ちなみに、

「ふん、恥をかかねばいいがな。女狐めが」

というのが職員室を出てからの一言めだったあたり、一成の奴、相当納得が行かないようだった。ま、当たり前か。
で。そこまで期待されているなら応えてあげようじゃない――――と、完璧な挨拶を練り上げてやったのだ。うん、わたしも充分負けず嫌いだ。
まあそんな個人的な感情を抜きにしても、遠坂家の跡を継ぐ者として失敗は許されない。例えそれが半ば嫌がらせのために引き受けたことでも、全力でやらなければ失礼というものだろうし。

―――明日は終業式。

いい機会なのかもしれない。ひとつの終わりの日に、新たなけじめとして未来への始まりのための宣言をするというのは。
ちらり、と視線を机の上へと落とす。生徒代表の挨拶の横に、魔術で封をされた――正確にはされていた――手紙が一通。それこそがわたしのこれからを左右する鍵だった。
簡単に言うならば、それは合格通知書のようなもの。
魔術協会の総本山である時計塔からわたしに対しての。父の功績と、聖杯戦争で最後まで残ったことによって開かれた道を告げるものだった。
時計塔。それは魔術師にとっての最高学府であり、誰でも目指そうとする場所。もちろんわたし自身、いつかはと思っていたところでもある。
遠坂の跡継ぎとしては無論、迷うことなどあるはずがない。


卒業後、倫敦へ行く。


これはわたしが、今現在のわたしが決めたことだ。
遠いあの日、遠坂家の後継として魔術師となることを決めてから、わたしはこの「いつか」が来ることを望んでいたのだから。
だが、問題がひとつ。
それは言うまでもない士郎のこと。聖杯戦争後、わたしは彼の魔術の師となることを了承した。初歩の初歩の魔術もろくに使えないくせに魔術師にとって目指す究極の一である「固有結界」をマスターしやがっているという、全く信じられない矛盾した魔術師見習いなのである、奴は。へっぽこだし。
そんな危険人物、目を離すわけにはいかない。

となれば、道はひとつ―――共に倫敦へと行く、と。

わたしの気持ちは決まっている。士郎と一緒に行きたいと。
けれど選ぶのは士郎でなければならない。こればっかりはわたしにはどうすることもできないし、するつもりもない。
だから明日告げようと思っている。わたしが一年後、どうするつもりかということを。
本音を言えば、わたしとしては卒業後に有無を言わせず士郎を倫敦へと連れて行きたいところなのだが―――それは、フェアじゃない気がするのだ。
わたしだけが決めて、
士郎に選ばせるだけの猶予と情報を与えないなんていうのは。
いつだって対等で在りたい。どんな時にだって正々堂々と、真っ正面から。それがわたしなりの自負であり誇りだ――――魔術師として、そして遠坂凛として。


まあ、正直に言えば、
実のところ―――自信はある。士郎がわたしと来る道を選ぶこと。


自惚れと言ってもいい。
不安がないといっては嘘になる。でも、それでも遠坂凛はうじうじなんてしてやらないのだ。何処までも自信たっぷりでいないと士郎だって気持ちよく決断なんて出来ないだろうし。

―――だから、自分からは一緒に来てくれなんて言わない。言ってあげない。

わたしはただ信じるだけだ。
遠坂凛にとって、あいつがかけがえのない存在であることと、
衛宮士郎にとって、わたしがかけがえのない存在だということを。



わたしの野望はあの莫迦を真人間にして思いっきり幸せにすることなんだから。



うん、それだけは決して譲ることの出来ない私の誓いだ。
目を閉じて思い出すのは朝焼けの中で交わした約束。他の誰でもない、わたし自身の願いのためにもそれは果たさなければならない。
そして、明日がそのための新たなるステップになる。
「よし」
もう夜も遅いことだし、そろそろ眠って明日に備えよう。そう思い立ち上がろうとした瞬間、
「あ、やば―――」
くらり、と。意識が遠くなりかける。ここ最近ずっと、遅くまで報告書やらなにやらにかかりきりだったせいか、想像以上に疲れは溜まっていたようだ。
なんとか体勢を立て直し、そばにあるベッドへと仰向けに倒れ込む。すぐに心地いい睡魔が身体中に浸透し始めた。
幸い今日中にするべきことは終えた。明日への決意だとか、心の準備だとか。
だからもう眠らないと。体調を崩して士郎に心配なんてかけられないし。
ふふ、士郎はどんな顔をするのかしら。きっとすごく驚いて、そして、それから―――
明日。意識の端で士郎がどんな反応をするのか描いてみた。想像の中、わたしはやっぱりどうしようもないほどに都合のいい夢を見ている。いっそ愚かな程に。
・・・そうして。わたしは優しい眠りにその身を委ねた。





来るべき旅立ちの日、彼が隣に居てくれることを想いながら。







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