Good Night

 


 ふわりと香るシャンプーの匂いに体温が上がったような気がした。目の前には風呂上がりの遠坂が膝を崩しこちらに背を向けている。しっとりと濡れた黒髪はゴムで束ね結わえ上げられており、パジャマ姿とのダブルパンチでこちらの理性を刺激する。
「ええと、それじゃ乾かすぞ。遠坂」
 ごくり、と喉が鳴るのを誤魔化すように宣言し手に持ったドライヤーのスイッチを入れた。
「うん……それじゃ、よろしく」熱風にかき消されそうな小ささで遠坂が答える。
 睡魔を含みいつもよりもあどけない声と表情。やっぱり遠坂でも徹夜明けはキツイんだな。
 乾いたタオルでまずは髪が含んだ水気を取りその上からドライヤーを当てる。
「遠坂、熱くないか?」
「んー……だいじょぶ」
 これがもしも自分だったらドライヤーなんかも使わずただ力任せにタオルでがしがしとやればいいんだが、なにせ今乾かしてる相手は遠坂だ。その自慢の黒髪を傷めることがないように細心の注意を払った。
 好きな相手に対しての面倒ってのはこんなに嬉しいものなんだな。
 そんなことを初めて知った。一カ所に熱風が当たりすぎないように、当たらない場所がないようにドライヤーを動かしもう一方の手ではタオルで水気を取る。ある程度まで乾いたら今度は結わえていた髪を下ろしてその手間を繰り返す。―――楽しくて仕方ない。
「……ん」
 こく、と船を漕ぎかけてはその度に少し意識を覚醒させる遠坂。
 最近新しい魔術についての本を手に入れたらしく遠坂はその解読にかかりっきりだった。今日も徹夜明けのせいか、風呂上がりのその姿があまりにも危なっかしく放っておいたらいつまでたっても自分じゃ乾かせないんじゃないかと代わりに乾かしてやると申し出たのだ。風邪なんか引かれたくないし。
 これが頑張る遠坂に対する何よりの『お疲れ様』になれば良いと思う。
 気持ちよさそうにしている遠坂の様子が後ろから見てても伝わってきて嬉しくなる。チラリと覗く項やらなんやらに身体と意識が熱くなるけど、それよりも今は穏やかで優しい衝動の方が強い。
「でも本当に俺がやってよかったのか? ……その、髪の毛って女の子にとっては大事なんだろ?」
 それが魔術師だったらなおさら。
「…ん。それは、そう、なんだけど。士郎だったらいいやーって」
 半分夢見心地のような響きで。だけどはっきりと遠坂はそんな言葉を零した。
「――――遠坂」
 信頼してくれてると思い胸の内が熱くなった。喉の奥で絡まり言葉は出てきてくれず、だから手を動かした。愛しさとか喜びだとか優しさだとか、このあふれんばかりに身体中を駆けめぐるものが少しでも伝わったら、いい。




「よし、終わり」
 たっぷりと時間をかけて丁寧にタオルで遠坂の髪を拭き、櫛で梳いた。遠坂自慢のこの黒髪が好きだ。すごく遠坂らしい気がするから。さらさらとした手触りに満足を覚えた。
「遠坂? 終わったぞ」
 声を掛けるが反応がない。そっと彼女の肩に手をかけて引いてみるとそのまま、遠坂の身体はこちらへと凭れかかってきた。
「とっ…お、さか?」
 すーすーと健やかな寝息を立てる彼女のあどけない寝顔はまるで、幼いこどものようで。その寄りかかった重さを心底―――愛しいと、思った。無防備な信頼を。
 軽いその重さ。でも確かな、大切な重さ。
 こんなに軽いのに遠坂は毅くて、でもどうしようもなく不器用でお人好しでもあって―――ああ畜生、本当、こいつに惚れちまってるんだな。俺。
 火照る頬が酷く熱くて今この屋敷に他に誰もいないことを感謝した。こんな真っ赤な顔、見られてたまるか。
 遠坂が幸せそうな顔で眠ってるのを起こせるわけもなく、かといってこのままじゃ風邪を引く。離れの遠坂専用の部屋まで運ぶしかない、んだけど……その、それはとんでもない拷問なような気がする。
「……くそ、幸せそうに寝やがって」
 俺ばっかりそんな苦労するのは不公平だよな、うん。魔術師の基本は等価交換、これは師匠である遠坂の言葉でもある。
「よし。お代はもらっとくからな」
 言って指先でさらりと流れる黒髪を除けて、遠坂の首筋に唇で触れて強く吸った。なんだか殺されそうなことをしてしまったような気もするが―――全部、遠坂から感染した熱のせいにしとこう。
 そうして出来うる限り優しく遠坂の身体を抱き上げる。
「おやすみ、遠坂」
 囁きかけるように言うと彼女の口許が少しだけ綻んだような気がして、この大切な重さを俺はずっと護れるようになろうと、ふとそんなことを思った。





終わり




そんなわけでばかっぷるです。ばかっぷるだと思うんです。
・・・ばかっぷるですか?これ(聞くな)
書いてて心底楽しかったんですが。

ちなみにこの妄想を形にしてくださった素敵絵はこちらです。




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