あれから何年も経ったけど、未だにその気持ちに名前をつけることが出来ないでいる。



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 初恋だったのだ―――と、今にして思えばそうなのかもしれなかった。
 初めて会った時からその人の笑顔は私の心に刻み込まれていたのだ。
 柔らかく笑いかけてくれた表情も、何処か寂しそうにも見えた横顔も、
 私は全部覚えている。

 切嗣さんは魔法使いみたいな人だった。

 いや、もちろんそんな存在ないから比喩なんだけど。それでも、彼の雰囲気や仕草は御伽話などに出てくる不思議な魔法使いのようだった。もしか、彼がそうだとしても私は別に驚かなかっただろう。うん、そっちのほうがロマンチックでいいかもしれないし。
 とにかく藤村大河にとって切嗣さんは特別な人だったのだ。
 それだけは、これから先もきっと変わらないこと。





「やあ、君が大河ちゃんかい?」
 驚いたわ。
 何に驚いたかってその気さくな挨拶に。家業が家業だからそんな親愛に満ちた挨拶を他人からされたことが滅多になかったのだ、当時の私は。
 ただただ呆と、見慣れぬ男の人を見上げるしか出来なかった。そんな私を見てどう思ったのか彼は困ったように笑うと、

「あれ、違ったかな。僕は衛宮切嗣っていうんだけど、君は?」

 人懐こい表情で私の顔を覗き込んだのだった。
 その瞬間に芽生えた感情の名を知らぬまに私は彼のことを受け入れた。ストンと胸に落ちるように、奇跡のように、当たり前のように、
 私と切嗣さんの関係は始まったのだ。
 近くの屋敷に越してきたのだと彼は言い「だからご近所づきあいよろしく、大河ちゃん。仲良くしよう」と続けた。
 それからは慌ただしくも楽しく奇妙に穏やかな満ち足りた時間があった。
 私は毎日のように衛宮邸に通いつめ切嗣さんと時間を過ごした。私自身の他愛もない話に切嗣さんは静かに耳を傾けてくれ、微笑んでくれた。その時間がどれだけ私にとって大事だったろう。穏やかに時が流れゆく衛宮邸はいつしか私にとって第二の家とも言える存在になっていた。かけがえのないこの空間は私の宝物だったのだ。
 その穏やかな水面に一石が投じられたのは、私が衛宮邸に入り浸るようになってしばらくしてからのことだった。


「僕の息子になった士郎だ。今日からこの家に一緒に住む。よろしくね、大河ちゃん」
 そう言って紹介された未だ身体の傷跡も癒えきっていない少年を私は呆然と見つめていたと思う。頭に巻かれた包帯の合間から見えるその瞳は傷ついた小動物にも似て、周りの全てを拒むかのようだった。
 正直、うまくやっていけそうにないと思った。切嗣さんにしか心を開かない少年に対してどう接すればいいのかわからなかった。
 切嗣さんのそばにくっついている時だけは、年齢に相応しい無邪気な笑みを浮かべる士郎。それを穏やかな眼差しで見守る切嗣さん。
 それはまさしく血が繋がって無くても親子の持つ雰囲気そのものだった。それが酷く気に入らなくて、士郎につっかかってしまったこともあったっけ。
 自分だけのものだと信じていた宝物を横取りされたような、置いてきぼりにされてしまったような、そんな気分。
 士郎とよくぶつかり合い、喧嘩も数限りなくした。そうして少しずつ慣れていっても、胸に刺さった小さな棘はなかなか抜けてはくれなかったのだ。
 私は―――士郎が羨ましかったのかもしれない。





 そして。何年か後のある日の夜遅く、士郎が既に寝に入ってから切嗣さんは縁側で話をしようと私を居間から連れ出した。
 なんでもないように、明日の天気でも訊ねるかのような口調で、彼は言った。

「この家を、士郎を頼むね。大河ちゃん」

「・・・はい」
 いきなりの言葉に取り乱したりしなかったのは、何処かで覚悟をしていたからかもしれなかった。切嗣さんはいつか私たちを置いていってしまうと。手の届かない場所へ望まずともいかなくてはならないことを、知っていたからだ。その日が近いことも私は知っていた。日に日に穏やかに、同時に何処か寂しげにも見える彼の笑顔が『そのとき』が近いことを告げていたから。
「私、あいつのお姉ちゃんですから」
 その言葉は自然と口をついて出た。つまらないしこりなど何処かへと消え、本当に自然とそう思った。あんな危なっかしくて不器用なやつ、放っておけない、と。
「そうか、そうだね。大河ちゃん、君は名前の通り本当に頼れるお姉ちゃんだ」
 そう言って嬉しそうに笑い、切嗣さんは私の頭を撫でた。優しく。
「うん、じゃぁ―――安心だ。こんな立派な家族がいるんだからね」
 ぽん、ともう一度軽く頭を撫でた掌が大好きだった。どれだけ深い想いがそこにあったんだろう・・・その掌はとてもあたたかかった。
「ねぇっ、切嗣さん・・っ、私、私は―――っ」
 不意にこみ上げるものがあり、切嗣さんに縋り付いた。まるで小さな子どものように泣きじゃくって。
 そんな私をどう思ったんだろう。切嗣さんはぎゅっと私の身体を抱きしめた後、こちらを覗き込み
「大丈夫だよ、大河ちゃん。君は僕の大切な家族で士郎のお姉ちゃん。そして、誇りだ。君がいてくれて、僕も救われたんだ」
 それは、私がずっとずっと欲しかった言葉だった。
 溢れ出す感情を止めることが出来なくて、私は彼の腕の中で大声を上げて泣きじゃくった。明日にはちゃんと笑えるように。


 あの時から―――私は、姉であることを選んだのだ。士郎の、そしてこの家で過ごす誰かにとっての。お姉ちゃんで在ることを。





 そうして、五年。

「切嗣さん。もうその役目も終わりみたいです」

 すごく寂しい気もするけれど同時にとても誇らしい。私は私に出来ることを精一杯やった。その結果、士郎は巣立とうとしている。その様をこうして報告できるのは、やっぱり誇ってもいいことだと思うのだ。
 ・・・でも、寂しいなぁ。
 鼻の奥がツンと痛む。溢れ出す想いが目尻から零れないように慌てて上を向いた。
 空は快晴。墓参りにはもってこいの。
 穏やかな切嗣さんの笑みが目に射し込んだ光の中に浮かんで消えたような気がして瞼を閉じた。
 いつまでだって変わらないその思い出を、私はずっと覚えて抱えていく。
 じゃり、と砂を踏む音が背後から聞こえた。振り向くとそこには士郎と、士郎の選んだ彼女の姿。
「片づけて来たぞ、藤ねぇ」
「うむ。ごくろーさん」
 言って、なんでもないように立ち上がった。入れ替わるようにして士郎が墓前へと立つのを横目で見やった。大きくなったなぁ、本当。昔は膝を屈めないと目線を合わせることも出来なかったのに。月日は流れてないようでやっぱり確実に流れてるってことをこんなにも感じる。
 大きくなった士郎の背中。
 切継さんにとてもよく似てるって思うのは姉の欲目かな? けど、ただひとつ違うのは、そこには切継さんのそれに感じた寂しさとか、そういったものがないってことだ。あるのはただひたすらに前へと進もうとする気概。きっと彼女が背中を張り飛ばしてくれたんだろう。うむ、ちょっと苦手だけど流石に士郎が選んだだけのことはある。怖いけど。
「切継さんへの報告は済んだ?」
「・・・ああ」
 背中に声をかけると振り返らないまま答える。きっと色んな事を思い出してるんだろうな。そして、多分旅立ちのことも。
 なんだかんだ言っても本当に切嗣さんと士郎は親子だ。血とかそんなものじゃなくて、もっと深いところで繋がってる。いつか私が羨んだその関係の在り方。
 ぼんやりとそんなことを思っていると士郎の横に彼女が並び、士郎が先程までしていたように黙祷をする。
 不意に二人の背中を遠く感じた。楽しそうに話す二人は、あの屋敷から巣立っていってまう―――そして、私は一人残される。
 覚悟はしてたつもりだったんだけどなぁ。こうして改めてその事実を突きつけられるとどうしても寂しくなってしまい、思わずそれが零れてしまった。
「あーあ、士郎が家を出てっちゃうとはね。お姉ちゃんは寂しいよぅ」
「ん?何いってんだ藤ねぇ。俺はいつか帰ってくるさ」
 振り返り、きょとんと私を見返す士郎。
「だから家のことよろしくな。あ、でも秘密基地とかにするのは無しだからな。ちゃんと人が住めるようにしといてくれよ?」
 当たり前のように続ける士郎と、
 その広くなった肩の向こうで優しく微笑み、ひとつ頷く彼女。

―――ああ、なぁんだ。

「わっ、な、なんだよ藤ねぇ・・・!いきなり泣き出してっ・・・!」
 うるさいな。嬉し泣きなんだから仕方ないでしょー!?
 あーもう本当、なんで気付かなかったんだろう。あんなにあったかくて居心地がいい場所、私は他に知らないのに。
 何より士郎の帰る家はあの場所だって知ってるのに。
 だったら、私はあの家に居て守んなきゃ。衛宮の屋敷を、士郎たちがいつか帰ってきてもいいように。
 巣立っていった鳥たちがいつでも羽を休めることが出来るように。

 ―――私、いつまでもお姉ちゃんでいて、いいんだ。

「士郎」
「な、なんだよ」
「たまには顔見せに帰ってこないと、お姉ちゃん寂しくて泣いちゃうんだからね」
 げ。と失礼極まりない言葉を吐いて困ったように頭の後ろをかく士郎。視線が泳いでもう一度戻ってくるころ、なんだか照れくさそうな表情をして「ん」などとぶっきらぼうに頷くのが嬉しかった。やれやれと肩を竦めながら苦笑する彼女も。
 このぬくもりと、心地いい空気の名前を知っている。
 形のないあやふやなそれを、今なら確かに信じられる。役目なんかじゃない。
 きっとそれは――――家族っていうもの。


 墓前に背を向けて帰る途中、二人の後を歩きながら最後にもう一度だけ振り返った。




 ねえ切嗣さん。
    私は、今日も元気でやってます。









家ってのは場所であり建物であり、なによりそこに住む誰かのことだと思うのです。

そんでもって士郎と藤ねえは、切嗣さんが生きている頃は切嗣をめぐるライバル。彼亡き後、同じ痛みを知る戦友、そして姉弟へ。っていうのが希望です。夢見すぎですか。スイマセン。



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