もしも叶うならば、君をこの掌に閉じこめて。




 吐く息が白く夜気に溶け消える季節になって随分経つ。朝とは違い、この冷気を優しく感じるのは昼間に太陽が棘を溶かしてくれたからだろう。澄んだ空に輝く星がよく見える。
 はぁ、と大きく息を吐くと後ろから同じようにする気配。
「寒くなったな」
 振り向けば鼻の頭を真っ赤にした士郎と視線がかち合い、思わず笑みが零れた。
「そうね。寒いんだから、衛宮くんがわたしに付き合うことなんかないのに」茶化すように言ったらむっとした表情で「馬鹿。そんなわけに、いくか。夜に女の子の一人歩きなんてさせられるもんか」
 こいつはわたしが魔術師だということを知っていてなおこういうことを仏頂面で言う。当たり前のように。何度でも繰り返して。
「それにな」
 厭きもせずに。
 多分、これからもずっと。士郎は同じコトを言い続けるんだろう。
「嫌なんだよ。俺がいないところでもし遠坂に何かあったらなんて、だから、これは俺がやりたくてやってるんだから遠坂は気にしなくていいんだ。わかったか」
 ……ああもう、降参よ降参。あんまり饒舌じゃない筈のあんたに真っ赤な顔で大真面目にそこまで言われたんじゃ―――そんなの、嬉しくないわけないじゃないのよ、ばか。



 心地よい沈黙の中、坂を上っていく。
 誰かと一緒にいる時の無言も決して苦行にはなりえないことをわたしは士郎と一緒にいるうちに知った。独りで居る時とは決定的に違うそれは相手次第で満ち足りた空間を作る。今みたいに。
 言葉に頼らなくたって想いを伝えるコトなんて出来る。不器用だって伝えられないよりも何倍もマシ。
 凍える両手に息を吹きかける。そろそろ手袋の出番かなと思い、ちらりと隣を歩く士郎を見やった瞬間、


「遠坂がこのポケットに入ったらいいのにな」


 ヒトリゴトの響きで紡がれた言葉。それは思いがけずぽろっと吐露されたかのような響きで。
「え?」ぽかん、と聞き返したわたしよりももっと間の抜けた表情の士郎と視線が合った。
 ちょっと。わたし以上に呟いた本人が驚いててどうすんのよ。問いつめる視線で見やるとあたふたと正気に返ったように慌てる士郎の、視線が泳ぐ。宙を彷徨い、そうして自らの手に視線を落とし、ポケットへ。
「あ、う。俺もこんな風に思うの初めてでよく、わからない。けど…」
 視線は俯いたまま言葉を探すように、
「遠坂がひとりきりでいる時とか、笑ってくれた時とか、俺じゃない誰かと一緒にいる時に思うんだ」
 そこで言葉を切り、今度は宙へと視線を彷徨わせる。
「……ああ、あと遠坂がすごい寂しそうな顔してる時にも、思う」
 たどたどしく言葉を繰りながらも己の気持ちをなんとかこちらへ伝えようとする士郎の、その言葉が、酷く遠く近く聞こえてきて揺れる視界。わたしは今、どんな顔をしてるんだろう?
 そんなこちらの表情を見て士郎が今度は途方に暮れたように手を振った。
「あ、わっ、悪い遠坂。ごめん、その、俺は別に遠坂を困らせたいわけじゃなくて…っ」
 違う。訊きたいことは、そんなことじゃなくて。
「―――初めて、なの?」
 そんな風に誰かを閉じこめてしまいたいと願うのは。その衝動の理由となる感情を抱くのは初めてだと―――そう、言うのだろうか。
 士郎は戸惑ったようにこちらの視線を受け、外した。永遠にも感じるような刹那の逡巡の後、彼はゆっくりと真正面からわたしの瞳を覗き込む。挑むように、宣言するように「ああ」と頷いて。
「遠坂が初めてだ。……遠坂しか、思わない」
 視線は真っ直ぐわたしを捉えて、紡がれた熱に浮かされた温度の言葉。熱い。
 士郎がこうしてわたしに応えてくれたなら正直にわたしも応えなければなるまい。精々負けないように口許をつりあげてみる。士郎を捉えたままもう一度確かめるようにして告げる。
「わたしはそんな狭いところ飛び出しちゃうかもしれないわよ?」
「知ってる。遠坂はそういう奴だってコトなんか。―――それでも」
 ―――ああ。
 そうだ。こいつはこういう奴だった。自分を誤魔化すようなツマラナイ真似なんてしない。
 瞳を閉じる。思えばこいつはいつだってそうだった。だからこそ惹かれたんだ、どうしようもなく。
 ならば条件は五分と五分。わたしたちは互いにイーブンでなければならない。そのためにわたしは問おう。しっかりと真っ直ぐ、士郎を見つめて。

「わたしを閉じこめようと思うならそれなりの対価を求めるわ。あんたにその覚悟はある?」

 引き絞られた意識の中で互いを見つめる。限界まで引かれた弓が放たれる一瞬前の静けさにも似た。
 甘い睦み合いの空気なんかじゃない。今まさに殺し合いでも始まりそうな緊張感の中で、
 一歩分の距離をどうやって埋めるの? 見せてよ。
 この一歩はわたしからは譲れない。譲ることなんか出来ないんだから。
 痛みすら覚えるように抱きしめて刻んで。あんたの「覚悟」、此処で示して。


 そうして、彼は頷いた。真っ直ぐにこちらを見据えてしっかりと、一度。

 
 抱き寄せられて息も出来ないほど強く背を抱かれ、呼吸をしようと喘いだ口を塞がれる。閉じなかった瞳は火傷しそうに熱い錬鉄の視線を捉えて―――震える。
 ゆっくりとこちらが瞼を閉じれば、ぎこちなく唇を吸われ舌が絡む。密着した胸は互いの鼓動をダイレクトに伝えてさらに際限なく熱を上げていく。壊れそう。
 わかった。わかったわ。
 この痛みを伴いながらも強く在ろうとする想いを、わたしはちゃんと受け止める。多分あんたと同じ想いをわたしも抱いて生きていくから。
 溺れそうになる寸前で、どちらからともなく身体を離して至近距離で見つめ合った。折れない剣のような輝きを持つ瞳はやっぱりそれでも士郎のままで、それが妙に嬉しい。
 こちらからの応えを待つ士郎に背を向けて一歩歩く。

「うん、じゃあ……一日くらいだったら、我慢してあげようかな」
 
 震える声を悟られないように叱咤して。
 振り返らずにわたしは右手を士郎に差し出した。普段は鈍いくせにここぞという時に鋭い士郎はすぐにこちらの意を察したのかわたしの手を導いた。これが、答え。
 彼のポケットの中に。
 強くわたしの手を握りしめ隣を歩く士郎は、嬉しそうに、照れたように笑っていて。
 その感情の名がなんというのか、教えようとして止めた。
 それはこれから先、嫌でも知ることになるものだから。その時に抱くものが絶望でないことをわたしは祈るだけだ。そうならないように護るから。
 ―――護るから。
 ねぇ士郎。その名前を知っても、どうかあんたはあんたのままでいてね。





 叶わなくとも、君をこの掌の中に―――



 ………OK? 
 in my hand. ―――in my pocket.



 ―――ポケットの中に。









小さい頃、綺麗な石やおもちゃなど大切なものをポケットに入れて持ち運んだりしませんでしたか?
独り占めしたかったり、護りたかったり。
誰も見れない場所に隠して。

そんな話です。


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