遠坂凛は魔術師だ。
俺、衛宮士郎がその足元にも及ばないくらいの魔術師。
連綿と受け継がれてきた遠坂家の血と歴史、神秘を受け継いだ後継者。遠坂以上に魔術師らしい魔術師を俺は知らない。
親父――切嗣も魔術師だったけど、親父が目指していたのは魔術使いだったせいかイメージする魔術師とはかけ離れた存在だったと思う。親父を思い出すときに連想するのは、俺の理想そのものだ。
俺はそんな切嗣に憧れて魔術使いになりたいと願った。もっと正確に言うなら「正義の味方」ってやつに。

そのために魔術を習い始めた俺だけど、魔術師になりたかった訳でもない。ただ、「正義の味方」になるための一つの方法として、俺は魔術師を目指したんだ。

でも遠坂は違う。あいつは生粋の魔術師だ。その生い立ちも覚悟も、全部。
頑ななまでに魔術師で在ろうとしながらも自分を見失わない。不器用で、だけど目を奪われるくらいに潔い―――遠坂らしい生き方。

そんな彼女に見習いでしかない俺が敵うわけもなく。
それに、彼女はきっと魔法使いだ。俺に対してのみ唯一にして絶対の魔法を行使する。


ああそうだ。あいつは天使のような笑顔で悪魔のように俺を翻弄する、あかいあくま―――。



「衛宮くん」と、呼びかけられて振り向いた先、彼女がいた。その瞬間自分が何処にいたのかわからなくなる―――見慣れたはずの学校の廊下が別の場所へと変わる。平衡感覚さえ頼りにならなくなって視界が揺れる。その中で唯一確かなのは目前で腕を組む遠坂だけだ。
「遠坂?」
俺、何かしただろうか?
聖杯戦争が終わって、三年に上がるまでは校内ではとりあえず他人の振りっていう約束を交わしたのはつい先日のことだ。
放課後になり、既に人の気配が少なくなってきているとはいえ遠坂が自分から俺に話しかけるなんて何かあったとしか思えない。しかも猫を被り切れてないってところがポイントだ。
「・・・」
むーっと不満そうにこちらを睨み付けてくる遠坂。どうやら本格的に俺の何かが気に入らないようだ。とはいっても心当たりがないだけに困る。
「その、遠坂?俺、何か悪いことでもしたか?」
「色々とあるわよ。とりあえず・・・それ、何」
言って遠坂が目で指したのは俺の抱えてる工具箱だった。はて、これの何が気に入らないってんだろう。自分で言うのも何だがこうして工具箱を持って放課後に駆け回るのは日課のようなものだ。
「何って工具箱だけど。それがどうかしたのか?」
有りの侭をを答えると遠坂はふぅ、と疲れたようなため息を零し
「訊き方を変えるわね。何故貴方が工具箱を持って走り回ってるのか。わたしが聞きたいのはその理由よ」
出来の悪い生徒に諭すように言う。それにしても、なんでそれがこうも絵になるのか。
「何故ってそりゃ、一成に頼まれたからだけ・・・ど」
う。
まずい。また何か怒らせることを言ってしまったようだ。
ますます眉間に皺を寄せる学園のアイドル。今が放課後で本当によかったと思う。猫を被った遠坂に憧れている奴らの心の平穏のためにも。
・・・ちょっと前までは俺もその一人だったんだよなぁ。
と、思い至って現実逃避を試みてみる。人生何処で何が起こるか本当にわかったもんじゃない。

「決めた。士郎、今日の帰りはわたしに付き合いなさい」

―――と。
不意にトンデモナイことを聞いたような気がして我に返った。
「えっと?遠坂、今なんつった・・・?」
恐る恐る問い返すと彼女はフンっと胸を張り、
「わたしと一緒に帰りなさいって言ったのよ。そんなに切羽詰まった仕事でもないんでしょ?それ」
「え、いや。それはそう―――だけど」
軽くパニックに陥りながらもそれだけを答える。確かに一成に頼まれた仕事は緊急を要するってわけじゃないから別に明日に回しても――――って待て待て。落ち着け、俺。えっと、その、なんだ? 一緒に帰るってのは遠坂と、俺が?
果てしなく頭の中に疑問符を浮かべて硬直する俺に業を煮やしたのか、遠坂はずいっとさらに一歩こちらに詰め寄り、俺のそんな迷いや葛藤を吹き飛ばす一言を放った。

その、魔法の言葉は―――

「だからぁっ、帰りにデートしようって言ってるの!」

撃沈。
頬をうっすらと染めながらも真っ正面から遠坂は俺にそう告げた。

「いつもいつもそんな風に駆け回ってたら疲れちゃうでしょ?だから、たまには楽しいことしないと割に合わないじゃない、士郎は」

駄目だ。
遠坂が何か言ってるけど耳に入ってはきても頭がそれをちゃんと理解してくれない。
それくらいにさっきの言葉は破壊力がありすぎた。
やばい。理性だとかなんだとか、全て一緒くたに粉微塵にされるくらいの衝撃。此処が学校だってことが一欠片の理性を残す。
それでも頭の中を真っ白にするくらい―――その遠坂の言葉は魅力的過ぎた。

「で、士郎。返事は?」

だから、俺は何も言えずに大きく肯くことしか出来なかった。遠坂はそんな俺を見て満足そうに微笑み、
「よろしい。じゃあ、わたしは下駄箱で待ってるから早くそれを片づけて来なさい。いい?」
「お、おうっ。わかった、すぐに行く」
呪縛を解かれたかのように身体は動いた。工具箱を抱えたまま自分の教室に戻り、定位置に戻す。それから鞄を掴んで飛び出した。うきうきとした足取りを自覚して、今俺は確実にしまらない顔をしてるんだろうなぁ、と意識の端で思った。
それも仕方ない。
だって遠坂と一緒に帰るんだぞ?それだけでも嬉しいっていうのに、デート。
その言葉は魔力でも持っているのか。いや、どっちかっていうと遠坂自身か。とにかく俺はもうノックアウトをくらってしまったのだ。
だったら、急ぐしかないじゃないか。

『あ』

階段を降りかけたところで一成と鉢合わせした。
「どうした衛宮。もう終えてくれたのか?」
「いや、今日はその・・・急用が出来ちまって。明日に回しちゃ駄目か?」
息を切らせながらのこちらの言葉に一成は目を閉じて一つ肯く。
「ふむ。そういう事情ならば無論構わぬ」
「悪いな。この埋め合わせは近いうちに必ずするからさ」
「む。衛宮がそこまで言うのなら何か深い理由があるのだろう。元々は無理にこちらが頼んだこと。衛宮が気にすることではない」
「明日はちゃんとやる。一成、ありがとうな」
「戯け。感謝の言葉を言わねばならんのはこちらだというに。それより急ぐのではないのか?衛宮がそこまで言うのならよっぽど大切な用なのだろう?」
「ああ」
肯いた。遠坂と仲が悪い一成に対して少し罪悪感のようなものを感じないワケじゃないけれど―――それでも、今の俺にとってこれ以上大切な約束は無い。
今日これから遠坂と楽しむ分は、必ず明日挽回する。言葉にせずに自分に誓い、俺は一成の横をすり抜けた。
「じゃあ、また明日な」
「うむ」
最後にそんな別れの挨拶を交わして、一目散に走り出した。


早く早く早く。遠坂が待ってるんだから。


そうして下駄箱に辿り着く。夕焼けの紅を背に負って、彼女は其処に佇んでいた。
足音でこちらの存在に気づいていたのだろう。遠坂はひょいっと背を預けていた壁から離れ、俺の目の前へと移動する。
「遅い」
文句を口にしながらも、何処か嬉しそうに見えるのは俺の錯覚なのか。
「あ、う。悪かった」
上がった息も整えないままとりあえず謝る。というか、動悸がさらに激しくなったような気がする。その、こうやって遠坂が待ってくれていたっていう事実を見て、その光景が改めて俺達の関係を教えてくれたような気がして。
「ん、許してあげる」
にこりと無邪気に遠坂が笑う。後ろ手に腕を組んで、俺を見上げるように覗き込む遠坂の瞳のなか、真っ赤な顔をした自分を見つけた。
そのまま数秒程見つめ合ってようやく俺は、遠坂が俺の言葉を待っていることに気がついた。
「――――あ、その。か、帰るぞ遠坂。い、一緒に」
少しどもってしまったのは情けないことだがそれだけ緊張していたからだ。
「よし、合格」
今度は何処か悪戯な笑みを浮かべ、遠坂は踵を返して歩き出す。慌てて靴を履き替えて後を追う。隣に追いついてそのまま校門を出ると、待っていたかのように腕を組まれた。
「とっ、ととと遠坂っ!?」
「・・・なによ」
「うっ腕!腕っ!」
「―――嫌なの?」
見上げてくる遠坂の頬が赤い。ついでに言うならきっと俺も負けないくらいに真っ赤だ。それくらい今のは反則だ。心の準備も何も出来てないうちにバンジージャンプさせられるくらい反則だ。
「ばっ莫迦!嫌なワケあるかっ!!」

ああもうこいつは本当に――――

「よかった」
ちょっとだけ照れたように舌を出す遠坂は安堵したように笑うと、組んだ腕にぎゅっと力を込めてきた。
「・・・っ」

―――俺にどれだけ魔法をかければ気が済むんだろう?

「士郎は何処か寄りたいところはある?」
「いや。遠坂に任せるよ」
もう充分すぎる程に楽しいし、と言葉にせずに呟いてみる。きっと遠坂は知らないんだろう。一緒に居てくれるだけで俺がどんなに幸せなのか。こうやって一緒に歩くだけでもドキドキして仕方ないなんてことも。
そんなことを教えたらからかい倒されるだろうから言うつもりもないけど。だってほら、遠坂って赤いあくまだし。
そんなとりとめのないことを俺が考えているうちに遠坂はこれからの予定を組み立て終わったらしい。
「よし、決めた。行くわよ士郎!」
「おう」
タンっ、と弾むような足取りの遠坂に引っ張られるようにしてついて行く。


衛宮士郎に魔法をかけることのできる唯一人の魔法使いの後を、
繋いだ手を、離さないように。









戻る



アクセス解析 SEO/SEO対策